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お盆について考えてみる

仏壇とお盆のお供えの花

お盆について考える

8月といえばそろそろお盆のことに触れておきましょうかね。毎年、夏のお盆時期には帰省ラッシュが始まります。離れて暮らす家族が集まり、ご先祖さまや、亡くなった家族の魂を迎えるお盆。その由来は日本人が持つ『 祖先を供養する心 』が仏教行事と結びつくことで、大切に受け継がれてきたものです。ところが現代に於いては、期間中「お盆休み」と称して会社が一斉に休む夏休みの如きイメージが定着しており、本来の意味が薄れ、その存在が軽くなりつつあるように感じられてなりませぬ。昔と違って、都会では核家族化が進み、おじいちゃん、おばあちゃん、と生活を共にする家庭が少なくなりつつあるため、本来の『お盆』の姿が次世代へと引き継がれていけるように、今一度お盆について考えてみたい。 

お盆に想いを馳せる家族との繋がり

お盆は本来あの世から霊が帰ってくる「ご先祖の里帰り」期間のこと。一年に一度家族が集い、ご先祖さま手厚くもてなし、その霊を供養する大切な行事。つまりは、見える(この世)の者達だけではなく、見えない(あの世)の方達との、連綿と続く「家族のことを考える四日間」なのです。
お盆は家族との繋がりについて考える、唯一の行事といえるのかもしれません。
日常の忙しさにかまけているとついつい忘れがちな、家族や自分が存在することへの感謝ーそのルーツはどこにあるのか。

お盆は日本人にとって欠かせない大きな行事

『盆と正月が一緒に来たようだ』『盆暮の挨拶』というように、お盆とお正月は、わたしたち日本人にとって欠かせない大きな行事でした。なかでもお盆は、ご先祖様や、もう会えない家族を身近に感じる貴重な期間なのです。お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)』といい、仏教の説話に由来しています。お釈迦様が弟子の一人に、あの世で苦しむ亡き人を供養して救うための教えとして、「7月15日に多くの僧や人々に食べ物を捧げて供養すれば救われる」と説き、それがインドから中国を経て日本に伝わりました。この説話がに日本古来の祖先を敬う祖霊信仰と混じり合って、現在のようなお盆行事が定着していったといいます。お盆本来の意味を知って、日本人が大切にしてきた『祖先を供養する心』や家族との絆について考える時間を共有したいものですね。

地域によって時期や行事の違いがある

盆の入りご先祖の霊が迷わぬように迎え火を焚き、季節の果物や野菜などをお供えします。盆明けは送り火を焚いて、あの世に送り出します。地域によっては、お供え物を小舟に乗せて川や海に流す精霊流しや灯籠流しの風習なども行われます。わたしの住む東京では、新盆(7月盆)にお盆の法事を行っておりますが、全国的には旧盆(8月盆)の地域が殆どです。7月盆も8月盆も15日が中心となり、13日の盆の入りの迎え火で始まり、16日か17にちの盆明けの送り火で終わるのが一般的です。京都の五山送り火大文字焼き)が、全国的には最も有名な行事のひとつとして、お盆の風物詩になっています。

お盆やすみのルーツは奉公人の休み「薮入り」

日本の企業では、お盆休みとして8月15日を挟んで連休にする場合が多いのですが、その習慣を遡ると、江戸時代の商家の「薮入り」に辿り着きます。昔の商家の奉公人には定休日はなく、1月16日と7月16日の年2日だけが実家に帰れる日だったのです。1月15日が少正月、7月15日がお盆だったので、その翌日に「薮入り」として休日を与えられたといわれています。第二次世界大戦前までは「薮入り」の習慣が続いていましたが、戦後は日曜定休が定着。「薮入り」の習慣はすたれ、正月休みと盆休みに変化していったのす。

浄土真宗黒檀の仏壇

 

わたしにとってのお盆

我家では11年前に母が亡くなってから、よりお盆を意識するようになった。身内が亡くなると仏壇も迎え、日々の中でのお世話もあるので、なにもないお宅に比べれば当然といえば当然のこと。ましてわたし自身が幼い頃から霊的なもの身近に感じ、不思議体験も数知れないほど味わってきている身なので、尚更ではある。
母の7回忌が済んでからは、次の13回忌まで命日の法要はないので、お坊さんを呼んでの法事といえばお盆である。うちではずっと母の葬儀の時からお世話になっているご住職に来ていただき、自宅の仏壇の前で全ての法要を行っているのだが、数年前にようやく自宅から歩いていくことの出来るお寺に不思議な縁でお墓を建てた。
母が亡くなってから数年の間は、何度となく父がよさそうなお墓の場所を見つけて来るのだが、なかなか決まらず、ようやく契約金を入れて決定したはずの場所も、なぜか父の心変わりでお流れになった。それからの父はお墓のことなど忘れたかのように何もいわなくなった。
そうして日々が流れて数年、もはや自分が生きている間に墓を建てる気がないのかと思われた。そんなある日、『ここに墓買ったから』と、父が事後報告してきたのである。もうすっかり忘れたのかと思い込んでいたところへの突然の報告である。いつだってこの人は自分の思うように動き、思うようにするのだ。
場所は自宅から自転車で5分ほど。歩いてもいける近さであった。遠くても広いお墓にするか、狭くてもいいから近場にするか。これはお墓を建てるときには、けっこう迷う問題である。父も母も実家が遠く、後継でもないため、先祖代々のお墓に入るという選択肢はなかった。そのためどうするかずっと考えてきたのだが、結局は必然なのであろう縁がここでもちゃんと働いた。そのお寺は母の宗派である浄土真宗親鸞聖人ゆかりのお寺だったのだ。

何事もやはり縁(えにし)である

親鸞聖人が京都に上洛する途中に、この土地の人々が昇天に苦しんでいたので、雨乞いにより雨を降らせて村人を救ったのが縁となって、草庵を結んだのが始まりといわれており、本堂の裏には雨乞いをした鏡が池と親鸞聖人が袈裟を掛けたという掛の松(二代目)がある。
 
このような場所がこんなに近くにあったとは
 
灯台下暗しとはこのことであろう。さんざんっぱら、あれだけ探して何年もみつからなかったというのに、初めからここに入るのが決まっていたのであろう。そう考えると何ごとも腑に落ちるのである。いともあっさりと、導かれるようにお墓が決まったのであった。もしかすると母がなにやらやったのではないかとさえ思えた。
『近ければあんたたちでもちゃんとお墓参りするでしょ』そんな声が聞こえてきそうである。 
 
お墓を建ててからは、お盆の法事を墓前でやることにした。浄土真宗はもともと供養目的はないと明確にしているため、お盆のお迎えの特別なお供えなどもしないで良いとされている。ただ個人的には何もないのも寂しかろうと思うので、母の好きそうな和菓子と果物とお花くらいは供える。この辺りは檀家に入っているわけでもないので、厳密でなくとも気持ちのあり方であろう。
母が亡くなってから最初のお盆。いわゆる初盆の時に、ご住職に初盆時には京都の五山送り火大文字焼き)をみると感慨深いものになるから。とすすめられた。送り火とは関係のない宗派なのだが、やはりあの送り火はどこか特別に思える。
 
五山送り火をいつか側でみてみたいものだ。
 
ご先祖さまや亡き人を供養する想いと、神様や仏様へ手を合わせる気持ちと。お盆には、そんな日本人が大切に受け継いできた姿がある。
 
生かされていることに、
日々感謝を忘れずに、
心から手を合わせてみる。
 
手と手を合わせて、し・あ・わ・せ
 
ありがとうございます∞愛と感謝を込めて
 
 
お盆について
薮入りとは

 

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