ビロードのように上質な Vieludo

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関東と関西。お香典の違いに学ぶこと

ご霊前袋とアメジストの数珠

先日出席した葬儀の折に学んだ話。喪主である故人の息子さん(K氏と呼ぶ)から葬儀後のお香典の事務処理を頼まれたときのことである。お通夜と告別式に出席した人が記入するご芳名帳を整理するため、わたしが読み上げK氏がパソコン入力をしていた一連の作業中。
 

『そういえばYさんがお焼香の席にいたんだけど、お通夜で食事の席があるなんて知らなかった。関西ではお香典も持参しないから、お焼香済ませてすぐに帰ったんだって』そんな話しをしだしたからびっくりした。Yさん自身から聞いたのではなく、共通の友人から知らされたのだそうだ。Yさんは何年か前に関西圏から東京(K氏の地元)に越して来たので知らなかったらしい。

関東と関西 お葬式の違い

『えーっ。関西ではお香典包まないんだ!』驚きを隠せないわたし。無論K氏も知らなかったので、『ほんとかよー』二人顔を見合わせ、どうにも納得出来ずに早速ネットで検索してみると、最近の関西ではお香典辞退が主流となっているらしい。『ほんまかいな』確かに、Yさんはご芳名帳にも名前がなかった。
 
更にもう一人、大阪から告別式に参加した会社関係の人が、記帳はしているのだが、どこにもお香典の金額が書いていないではないか。最初は『あれ?なんで??』記入漏れかと思っていたのだが、どうもお香典袋自体が見あたらない。探してみたがないのだ。そこで腑に落ちた。この人もお焼香だけだったということか。。
 
どうりで金額が書いて無い訳だ。納得納得。ではないぜよーお香典を包まないとは、正に青天の霹靂。『なんということでしょうー』私たちはふたりはムンクの叫びのような顔になってしまった。
 
関東ではお香典を包むのが当たり前で、包まないと言う概念すらなかった。Yさんだけの話なら、きっとまだ疑っていただろう。しかし、会社の代表で来ているS氏までもがお香典を持参していないとなると、これはもう疑いようのない事実である。納得したくはなかったが。。。
 
恥ずかしながら、我々とて関東と関西でこのような違いがあることを知らずにいたのだから、エラそうなことは言えない。しかし、敢えてこのふたりに関しては、ちょっと待てよと言いたいんである。
 
わたし自身、久し振りのお通夜ということもあり、作法や格好など、失礼に当たらないように、行く前におさらいしまくったのだ。冠婚葬祭はフォーマルな席である。中でも葬祭関係はお祝いとは違った意味でも氣を使う場であろう。失礼があってはいけないと思うし、自分の 恥になっても困るので、そこは慎重にならざるを得ない。忘れていることも多々有るので、やはり念には念を押すためにも、不備がないように確認しておきたい。そう考えると、YさんとS氏はちょっと手落ちなのではないか?
 
二人とも故人とは面識がないのだ。考えようによってはお通夜にも告別式にも、出る必要性すらないといえる。 S氏は息子であるK氏との取引先ということもあるので、社会的立場から出席する事は考えられるのだが、YさんはK氏の知人だが、お父さんとは全く生前関わりがなかったため、K氏自ら亡くなったことすら伝えていないのだ。
 

袱紗と白い菊の花

YさんにはK氏が地元でお世話になっている方から、同じ地域に住んでいる手前『お通夜参加したら』
的に話が伝わった次第である。誰であろうと、故人を偲びお焼香していただくのはありがたいことだ。けれど、今回のことは、元関西人であろうと、今関西人であろうと、葬儀の場は関東なのだ。一社会人として、いい大人として、これだけネットが普及して情報が溢れている時代に、ちょっとお粗末。いや、かなりお粗末なのではないかぇ? 知らなかったでは済まされないのだよ、本当は。
 
K氏もわたしも知識不足という点では、あーだこうだと言えた義理ではない。むしろ今回のことで、大人としてのマナーを1つ学んだのだから、ありがたかったと心底感謝したいのだが、百歩譲って、お二方には、せっかく出席するのであればもう少し氣を利かせて欲しかった。地域によって風習の違いはあるのだし、遠方から移住してきた身であれば尚更だろう。
 
郷に入れば郷に従えというではないか。そこのところどうよ?
って少々ツッコミたくもなる。
 
まして葬儀の場のこと。知らなかったと言って笑って済ませてもいいのは子供だけである。いい大人、上質な大人を目指すのであれば、恥知らずのレッテルを貼られ兼ねないような振る舞いは避けたいもの。今回のことで、Yさんは恥ずかしいと思って欲しい。思わないようでは所詮それまでなのだけれどね。
 
人の振り見て我が振り直せと肝に銘じておきたいものですな。
 
S氏は関西と関東の違いを知っているのだろうか?少々氣にかかる。今後のこともあるのだから、とりあえず関東と関西の葬儀の違い位は認識していただきたい。次に同じようなことをしでかすと、本当に恥かきっ子である。K氏が『今度それとなく確認して、知らなかったら教えとくよ』そう言ってはいたが、はてさて。
 
知らないことが恥なのではなく、恥知らずな人にならぬように、氣づき学ぶ。それが大切なのだ。
わたしもまだまだ日々精進である。

香典辞退に人のなんたるかを垣間見る

わたしは正直お香典を辞退すると言う行為にはあまり賛成できない。『お参りに来て下さる方に迷惑になるから』などの理由で断るようなのだが、どこか言い訳めいている。家族葬で済ませる方が良く使うセリフのようだ。何が迷惑だというのか。
 
確かに日本のお葬式はお金がかかる。規模によってかかる費用も様々だ。つつましやかに家族葬で済ませるのならばそれはそれで良いのだが、香典にはお葬式費用を賄う役割もある。日本人には気遣いの文化があって、『こんな時だから、少しでも何かのお役に立てて下さい』そういった想いで支度をするものなので、亡くなった故人を、さようならと送り出すけじめとしてのお葬式で、お悔やみの気持ちをお香典とともに渡す。
 
これを負担に思うのであれば、初めから葬儀に出席しなければ良いのだし、そうした思いをはねのけるような、遺族側の一方的に辞退すると言う行為は、むしろ傲慢にさえ感じる。合理的といえば聞こえはいいが、結局のところ、お返しが大変だから。といった考えが見え隠れしていて、『なんだかなぁ』なのである。
 

お香典を渡す男性

会葬者はお香典を渡すことで、葬儀にかかる負担をわずかながらでも背負い、手助けできれば本望である。迷惑などとは思わない。そんな気持ちを門前払いせずとも、ありがたく受け取ってはいかがなものか。そうしたお互い様の気持ちまでもが、簡素化していくようでは寂しい限りである。

最後のお別れに思うこと

お焼香を済ませた後の通夜振る舞いの席では、見知った顔はほとんどいない。故人となんらかの関わりがあってこの場にいる人たちだが、それぞれが思い出話しをしながら過ごしているので、わたしはついつい聞き耳を立ててしまう。
 
『あぁ、この人はこういう関係だったのだなぁ』『この人はこうなのね』などと想像していると、そこにはもういない故人が鮮やかに思い出されて、切ないような、懐かしいような、それでいてもういないのだと実感すると、やはり寂しさは隠しようもないのだが、どこか穏やかで不思議な気持ちになるのだった。
 
肉体から離れた魂の気配をどこかで感じる。天寿を全うし、植物が枯れるようにして亡くなられた故人に憂いはないのだろう。生前も飄々として、どこか浮世離れした方だったので、きっとあちらでも飄々とされるのであろう。遺されたわたしたちも、悲しみの涙ではなく、笑って故人の思い出を語りながら過ごす。
 
そんな素敵な通夜振る舞いの席。
 
お別れの大切なひと時を、
 
〜ありがとうございました〜
 
と感謝の気持ちで送り出した。

 
 
本日はこれにて。
 
 
あとがよろしいようで〜
 
 
ありがとうございます∞愛と感謝を込めて
 
 
☟関東と関西のお葬式の違いは以下にてご確認のほどを☟
 

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